市章
土浦の「土」の字を桜川にうつる桜の花弁と霞ヶ浦のさざなみに図案化し、市民の協和と伸びゆく市勢を象徴したものである。
昭和17年6月8日制定
土浦市へのアクセス
電車で
・JR上野駅(常磐線下り)―土浦駅 | (45分)特急「ひたち」「ときわ」 |
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(75分)JR常磐線普通 |
・JR水戸駅(常磐線上り)―土浦駅 | (30分)特急「ひたち」「ときわ」 |
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(45分)JR常磐線普通 |
車で
・常磐自動車道 桜土浦ICから土浦市街方面へ約10分 |
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・常磐自動車道 土浦北ICから土浦市街方面へ約20分 |
飛行船のまち土浦
昭和4(1929)年8月、ツェッペリン伯号はアメリカ レイクハーストを出発し、大西洋を飛び越え、故郷ドイツ フリードリッヒス・ハーフェン飛行場に到着。その後シベリアを横断、北海道を南下し、デモンストレーションで東京と横浜上空を旋回後、8月19日午後6時半過ぎ霞ヶ浦飛行場に着船しました。ドイツから約1万1,000kmの行程で、飛行時間は101時間49分でした。
世界最大級 ツェッペリン伯号模型の展示
ツェッペリン伯号模型の展示 ツェッペリン伯号の世界一周、また霞ヶ浦飛来の偉業を後世に伝え、土浦を飛行船のまちとしてアピールし、飛行船によるまちづくりをテーマとして結成された「土浦ツェッペリン倶楽部」が、土浦市市制施行60周年に合わせ、平成12年10月に、製作期間約2ヶ月をかけて完成させた、ツェッペリン伯号の模型としてはギネス級の20分の1の模型が、亀城プラザに展示され一般公開されています。
模型といっても、全長約12m、最大直径1.4mと巨大なもので、キャビンや内部のワイヤー一本一本の張り方、内部通路の設置など、細部にわたり精密に復元されており、土浦ツェッペリン倶楽部の皆さんの飛行船に対する情熱を強く感じる作品です。
また、ツェッペリン伯号の係る資料を土浦まちかど蔵「野村」文庫蔵にて展示しています。
土浦市の歴史
近代 -明治・大正・昭和
土浦市の商都として発展を続けてきた歳月は、夢を持って力強く時代を生きた人々の証です。
明治から昭和にかけての日本は、世界の大きな流れの中で、変化と進歩を遂げてきました。
明治維新を迎え、政治の体制は大きく変わりました。明治4(1871)年に廃藩置県が行なわれ土浦藩は土浦県になり、さらに府県の統廃合で新治県の一部となった後、新治県は茨城県に吸収合併され、現在の茨城県になりました。そして、明治22(1889)年の市制町村制が施行され、現在の土浦市を形づくることになる町村が生まれました。
明治29(1896)年には、土浦から田端までの鉄道の開通や、道路が整備されるなど交通網が整いました。
また、明治5(1872)年に学制が頒布され、土浦町でも明治6(1873)年に第一番小学(現土浦小学校)が開校するなど教育制度も整いました。
一方、土浦周辺では大正10(1921)年に霞ヶ浦海軍航空隊の開設、昭和14(1939)年に海軍飛行予科練習部が設置されるなど、土浦は「海軍のまち」として発展しました。そのようななか、太平洋戦争が始まる前年の昭和15年(1940)に、土浦町と真鍋町が合併し、土浦市が誕生しました。その後、敗戦からの復興という苦しい時代を経ましたが、土浦は力強く立ち上がりました。
私たちのまち土浦は、茨城県南部の中心都市としての役割をずっと果たして発展を遂げてきました。そして現在、筑波研究学園都市に隣接する歴史と伝統のある都市として、未来へと躍進することを期待されています。